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横浜地方裁判所 昭和57年(ワ)1681号 判決

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告石原正信に対し金四五〇〇万円、原告石原優子及び同石原康寛に対しそれぞれ金二七五〇万円並びにこれらに対する昭和五六年一月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  仮に被告敗訴判決あるときは、相当額の保証を立てることを条件に仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

訴外石原恭子(以下「恭子」という。)は、昭和二五年三月三一日に出生し、昭和四九年一一月九日に原告石原正信(以下「原告正信」という。)と婚姻し、両者の間において、昭和五一年六月一七日に長女原告石原優子(以下「原告優子」という。)が、昭和五三年一〇月二八日に長男原告石原康寛(以下「原告康寛」という。)がそれぞれ出生した。

被告は、横浜市保土ヶ谷区岡沢町五六番地において横浜市立市民病院(以下「市民病院」という。)を開設、運営している。

恭子は、昭和五五年一一月二六日から市民病院において治療を受け、同月二八日から同病院に、昭和五六年一月一四日から横浜市南区浦舟町三丁目四六番地所在の横浜市立大学医学部附属病院(以下「市大病院」という。)に入院し、同月一九日に死亡した。

2  市民病院における診療経過

(一) 恭子は、昭和四九年頃、腹痛のため育生会病院で受診した際、白血球数が通常人の低い基準にあると指摘されたことがあり、昭和五三年の長男康寛出産後には、発熱、関節痛及び頭部発疹の症状が認められた。また、昭和五五年八月頃には、顔面紅斑の症状が認められ、右症状のため、同年九月に横浜市神奈川区内の渡辺医院において受診し、同医院に一〇回以上通院して、その間、注射及び投薬の治療を受け、さらに同年一〇月一九日には、同区内の済生会神奈川県病院において血液検査を二回受けたものの、その検査結果に異常は認められなかった。ところが、恭子は、同年一一月二〇日頃、発熱のため同区内の成川医院で受診し、同月二五日には五十嵐病院において受診した末、恭子の実父加藤義一の知人である東邦大学医学部教授鶴見清彦の紹介に基づいて、同月二六日から市民病院に通院し診療を受けた。市民病院では、当初、外科で診察を受けたものの、外科医師の判断に基づいて、同病院内科医師大島久二(以下「大島医師」という。)の診察を受けることになった。

(二) 大島医師は、昭和五五年一一月二六日、初診時に恭子から前記(一)記載の過去の症状を聞き、また、恭子に認められた顔面蝶形紅斑、口腔内潰瘍、関節痛、セ氏(以下同じ)三八度を超える発熱等の症状及びLE細胞出現、白血球数減少、蛋白尿等の検査結果を総合して、恭子が全身性エリテマトーデス(systemic lupus erythematosus以下「SLE」という。)に罹患している疑いがあると判断し、恭子に対して市民病院への入院治療を勧めた。恭子は、同月二八日に市民病院に入院した。

(三) 大島医師は、恭子の入院と同時に、恭子に対して血液検査、髄液検査、尿検査、レントゲン検査をたびたび実施したほか、同年一二月二日には皮膚及びリンパ節生検を、同月九日には腎生検等の諸検査を実施した。これらの生検の検査結果が判明するには、検査実施後一〇日前後の期間を要したが、その結果はSLEの症状を肯定するものであり、活動性ではあるが、腎生検の結果から判明した瀰漫性増殖性糸球体腎炎(ループス腎炎)も極く軽いものであって、その他の臓器には障害のない程度のSLEであった。

(四) 大島医師は、恭子に対して初診日である同年一一月二六日及び入院後の同月二八日から同年一二月二日まで非ステロイド性抗炎症剤であるアスピリンを連続投与したところ、恭子の関節痛の症状は寛解したが発熱症状は治まらず、同年一二月二日までほとんど連続して三八度台から三九度台前後の高熱が続いた。そこで、大島医師は、恭子に対し、一二月二日から副腎皮質ステロイド剤(以下「ステロイド剤」という。)を投与することとし、同日、ステロイド剤の一種であるリンデロンを二ミリグラム投与し、翌三日朝には同じくステロイド剤の一種であるデキサメサゾンを一・五ミリグラム投与し、同日夕方から同じくステロイド剤の一種であるプレドニゾロン(prednisolone以下「PSL」という。)を昭和五六年一月一四日まで投与した。PSLの投与日時及び投与量(日量)は、一二月三日一〇ミリグラム、同月四日から七日まで二〇ミリグラム、同月八日から一二日まで三〇ミリグラム、同月一三日から一八日まで四〇ミリグラム、同月一九日五〇ミリグラム、同月二〇日から一月五日まで四〇ミリグラム、同月六日から九日まで三五ミリグラム、同月一〇日及び一一日三〇ミリグラム、同月一二日夜から一三日夕方まで一〇〇ミリグラム、同月一三日夜から一四日昼まで五〇ないし六〇ミリグラムであった。

(五) さらに、大島医師は、恭子に対して昭和五五年一二月二日から昭和五六年一月一四日までの間、ステロイド剤の投与と平行して抗生物質を投与した。抗生物質の種類及び投与量(日量)は、一二月二日アモキシシリン(商品名サワシリン)二五〇ミリグラム、同月三日及び四日右同一〇〇〇ミリグラム、同月六日右同七五〇ミリグラム、同月七日から一一日まで右同一〇〇〇ミリグラム、同月一九日ケフレックス七五〇ミリグラム、同月二〇日から二六日まで右同一〇〇〇ミリグラム、同月二七日メトシリンS四〇〇〇ミリグラム、リンコマイシン一二〇〇ミリグラム、同月二八日から一月四日までメトシリンS六〇〇〇ミリグラム、リンコマイシン二四〇〇ミリグラム、一二月二九日ゲンタマイシン一六〇ミリグラム、同月三〇日から一月四日まで右同一二〇ミリグラム、一月五日メトシリンS二〇〇〇ミリグラム、リンコマイシン一二〇〇ミリグラム、ゲンタマイシン四〇ミリグラム、一月一二日セフアメジン二〇〇〇ミリグラム、ペントシリン二〇〇〇ミリグラム、ドブラシン六〇ミリグラム、同月一三日セフアメジン二〇〇〇ミリグラム、ペントシリン八〇〇〇ミリグラム、ドブラシン二四〇ミリグラム、同月一四日ペントシリン二〇〇〇ミリグラムであった。

(六) PSL投与開始後、恭子の容体は、昭和五五年一二月一三日頃までに顔面の紅斑は減少し、手足の指の紅斑は軽快し、頸部リンパ節の腫脹は触知しない状態となり、口腔内潰瘍も消失したが、他方、同じ頃までに白血球数及び血小板数は減少しており、また、発熱もほとんど三七度台であった。

(七) 恭子は、同年一二月一二、三日頃から歯痛を訴え始めた。大島医師は、同月一五日から市民病院歯科医師河内四郎(以下「河内歯科医師」という。)に恭子の診察を依頼した結果、痛みは左上顎第二小臼歯からのものであるが、同歯は既に歯神経を抜き他の医療施設において治療を受けたものであり、その痛みの原因は歯根膜炎と診断された。しかし、河内歯科医師の治療にもかかわらず歯痛が続いたため、同歯科医師は、大島医師と協議のうえ、同月一九日、恭子の左上顎第二小臼歯を抜歯した。

(八) ところが、恭子の歯痛は抜歯後も同月二七日まで続き、同月三一日には上顎洞圧痛があり、さらに、昭和五六年一月一一日からは口腔内から出血が認められ、同月一二日には下顎第一小臼歯から第二大臼歯にかけて歯肉から出血が認められた。また、昭和五五年一二月二七日に三九度の高熱を発し、昭和五六年一月五日から同月一二日まで、三八度台から四〇度台の高熱を発するなど完全には下熱しなかった。しかも、体内に炎症が存在する場合に血液検査の結果陽性となるC反応性蛋白(C-reactive protein以下「CRP」という。)の数値は、昭和五五年一二月四日、一五日及び二二日の各検査では陰性であったが、同月二五日の検査で陽性(プラス二)を示し、昭和五六年一月五日及び八日の各検査で疑陽性になったものの、同月一二日及び一三日の各検査で強陽性(プラス六)を示した。さらに、一月九日、一一日及び一二日の各血液培養検査の結果、緑膿菌が発見されるに至った。恭子は、一月一二日夜、顔面及び上肢痙攣を起こし、翌一三日未明にも痙攣を起こし、重症となった。

(九) 恭子は、一月一四日昼頃、家族の申出により、市民病院から退院し、市大病院に入院したが、同月一九日午後六時三五分に同病院において死亡した。

3  恭子の死因

恭子の直接の死因は、肺うっ血水腫であるが、その肺うっ血水腫に至った原因は、SLEの悪化及びそれと敗血症との合併症である。

4  責任原因

(一) SLEは、原因不明の慢性全身性炎症性結合織病(膠原病)の代表的疾患であり、かつ全身性自己免疫疾患の代表例でもある。

人体は、多数の細胞から組成されているが、細胞と細胞との間及び細胞から血管までの間をそれぞれつなぐのが結合組織である。そして、細胞の栄養は、血管からこの結合組織を通って細胞に送られ、同様にして細胞から出た老廃物も結合組織を通って血管に出ていくのである。このように結合組織は細胞の生存に欠くべからざる部分である。SLEは、その結合組織を構成する基質中の膠原繊維に異常を来たす病気である。SLEにおいては、ほとんど全身のあらゆる臓器に障害を起こすが、特に皮膚、関節、腎、漿膜、神経系及び血管を侵して特徴ある症状を呈する。したがって、SLEの臨床症状は多彩で、発熱、衰弱などの全身症状のほか、複雑な臓器症状として、顔面紅斑、多発性関節痛ないし関節炎、腎炎又はネフローゼ、貧血、血小板減少症、多発性漿膜炎(特に胸膜炎や心嚢炎)及び中枢神経障害が単独又は複合されて発現する。また、臨床検査所見も多彩であり、白血球数及び血小板数が減少し、CRP検査で陽性となり、補体価が低下するほか、特に免疫学的検査においてLE細胞や抗核抗体が認められる。しかし、これらの異常が起きる原因は未だ判明していない。

SLEは、その経過から、急性劇症型、急性型、亜急性型、慢性型、緩解・再燃型、潜伏型などの分類がなされ、あるいは障害される臓器の分布と程度から、重症SLE(心、腎、中枢神経系等の重要臓器障害及び溶血性貧血、血小板減少症、血管炎などの症状を有し、生命の予後に危険が予測される症例)、中等症SLE(活動性炎症症状があり、典型的なSLEの症状を有しているが、重要臓器には障害がないか、あっても軽度で、加療により軽快ないし消退する程度の症例)、軽症SLE(SLEと診断できるが、症状が少なく活動性が軽く自覚症状もなく、日常生活に支障のない症例)、緩解期SLE(治療により活動性の症状と検査所見が消退し、安定してステロイド維持療法を行なっているようなSLE、この群には後遺症による臓器障害の有無や程度により重症から軽症まである。)の分類がなされる。

SLE患者の死因のうち高頻度に認められるものは、尿毒症、心不全、出血、中枢神経系の障害、及び細菌感染症である。

(二) SLEは前記のとおり原因不明の疾患であることから、これを完治させる治療方法も未だ判明しておらず、SLEに対する治療は、現在の症状を進行させない治療行為、並びにSLEを寛解期の症状にもっていき、寛解期の状態に長期間安定させて維持する治療行為に留まっている。

現在のところ、SLEの治療の基本をなすものは患者にステロイド剤を投与するステロイド療法であり、ステロイド剤より優れた薬剤は判明していない。そして、ステロイド療法の確定により、SLEの維持療法は格段の進歩を遂げ、死亡率も顕著に減少した。しかし、他面、ステロイド剤には、細菌感染に対する抵抗力が弱まって感染症になる例、高血糖状態となって糖尿病になる例、骨がもろくなって(骨粗鬆症)骨折する例、さらには精神障害を起こす例、あるいは、緑内症や白内障になる例など、副作用を起こす危険が伴う。対症療法的に安易にステロイド剤が投与されると、活動性の強い症例では、寛解、再燃を繰り返していくうちに、心、腎、中枢神経系等の臓器障害が次第に進行していき、典型的な症状が揃って診断が確立した時期には不可逆的臓器障害ができあがっており、徹底的なステロイド療法をやっても有効な治療効果は得がたくなる。

したがって、ステロイド療法は、一貫した方針に基づく計画的なステロイド剤投与でなければならず、医師が治療方針の変更、投与量の増減を行なうには、理学的所見のほか、臨床検査所見、特に免疫血清学的検査所見を十分に検討したうえで行なわなければならない。

(三) ステロイド療法は、いかにステロイド剤の適切量を見い出し、いかに適切に投与するかにかかっている。したがって、担当医師としては、まず臨床的にも理学的にも諸検査を行ない、その患者のSLEの症状が軽症、中等度、又は重症かを判断し、ステロイド剤の投与の方針及び計画を定めて、ステロイド剤を投与すべき注意義務がある。

ところが、大島医師は、かかる注意義務を怠り、恭子の市民病院への入院後、血液培養、リンパ節生検、腎生検などの検査結果が判明する以前の昭和五五年一二月三日に、ステロイド剤であるPSL一〇ミリグラムの投与を開始し、解熱効果等が現れて一部の症状が改善されたものの、再び発熱するや、同月四日からPSLの投与量を日量二〇ミリグラムに増量し、さらに症状が一部改善されて投与の効果が現れても、白血球数が減少していると判断して同月八日からPSLの投与量を日量三〇ミリグラムに増量し、症状が三たび一部改善されたものの、白血球数及び血小板数の減少等が依然として認められ、SLEの活動性が抑えられていないと判断して、同月一三日からPSLの投与量を日量四〇ミリグラムに増量した。日量四〇ミリグラムに増量した結果、恭子のSLEの症状は、活動性が低下傾向を示すに至っていたが、発熱及び歯痛が起こり、そのため同月一九日にPSLの投与量を五〇ミリグラムに増量して症状が一部改善されたため、翌二〇日には再び日量四〇ミリグラムに減量して様子をみていたところ、今度は感染症か否かを確める必要があると判断して、PSLの投与量を昭和五六年一月六日から日量三五ミリグラムに、同月一〇日から日量三〇ミリグラムに減量した。大島医師が恭子に施した診療は、安易な対症療法にすぎなく、恭子のSLEが重症化してしまった原因は、このような安易な対症療法が施された結果である。

(四) 敗血症は、SLE患者にとって最も危険な感染症の一つである。SLE治療のためステロイド剤を投与すれば、感染に対する抵抗力を弱め、敗血症治療のため抗生物質を投与すれば、SLEの悪化を来たし、両者の治療方法は互いに相容れないことから、敗血症に罹患すれば、SLEの治療自体も困難となり、その結果、SLE患者は重症となって死亡する。したがって、SLE患者の治療にあたる医師としては、ステロイド療法を行なうにあたり、その副作用についての認識を十分に持ち、ある症状が現れたときにその原因がステロイド剤の副作用によるものか否か確認し、適切な措置をなすべき注意義務がある。また、ステロイド剤投与中の患者に対しては、身体を傷つけることは極力避けなければならず、やむを得ずに身体を傷つける場合には、感染症に罹らないように予防措置を十分に行なうべき注意義務がある。

ところが、大島医師は、これらの注意義務を怠り、昭和五五年一二月一二、三日頃、恭子が左上顎第二小臼歯の歯痛を訴えた際、この歯痛がPSL投与による抵抗力の低下のために口腔内の細菌の活動が活発化したことによるものか、又は虫歯等の悪化により炎症が起きたことによるものか、さらには、仮に抜歯するにしても恭子の体調に支障がないか否かについて、十分な検討も加えず、単に河内歯科医師の歯根膜炎との推測による診断に依拠して、恭子の右歯の抜歯を許した。

しかも、大島医師は、抜歯するにあたり、半数以上の患者において抜歯部位から細菌が入り血液に流れ込むに至ることが一般常識であるのに、恭子に対して抗生物質を事前に投与するなど、その予後について十分な検討も措置もしていない。

本件においては、大島医師が恭子について安易に抜歯を行なわせた結果、口腔内から緑膿菌が入り込み、しばらくは、抗生物質及び解熱剤の併用投与によって菌が発見されないまま潜在化していたが、一月六日以降、抗生物質及び解熱剤の併用投与が中止されたために、潜在化していた緑膿菌が一挙に顕在化し、恭子に敗血症を併発させてしまったのである。

(五) 以上のように、恭子が死亡するに至ったのは、大島医師の医療上の過失に基づくものであるところ、被告は、市民病院において医療事業を行ない、大島医師を同病院において使用していたのであって、右医療事故はその事業の執行につき生じたものである。被告は、民法第七一五条第一項本文に基づき、原告らに対して後記損害を賠償すべき義務を負っている。

5  損害

(一) 葬祭費

原告正信は、死亡した恭子の祭祀の主宰者として、葬祭費用合計金一〇〇万円を支出した。

(二) 逸失利益の相続

恭子は、死亡当時満三〇歳の女子であって、生存していれば少なくとも三七年間は就労可能であり、昭和五五年賃金センサス第一巻第一表に基づく女子労働者の平均所得額に物価上昇率等を考慮して一〇パーセントを加算して算出される年間平均所得額金二〇七万六三六〇円から生活費三〇パーセントを控除した金額に年五パーセントの割合による三七年間のライプニッツ係数を乗じて中間利息を控除した逸失利益の現価は、金二四二八万八九二七円となる。

原告らは、法定相続分(原告正信が二分の一、原告優子、同康寛が各四分の一)に基づいて恭子の逸失利益相当の損害賠償請求権を相続しており、原告正信の取得分は金一二一四万四四六三円、原告優子、同康寛の所得分はそれぞれ金六〇七万二二三二円となる。

(三) 慰謝料

原告らは、回復に向っていた恭子が担当医師の過誤により一転して死亡したために、筆舌に尽しがたい悲嘆の情におそわれた。一生の伴侶を失った原告正信、母親を最も必要とする時期にこれを失った原告優子、同康寛の精神的苦痛は計りしれないものがあり、右苦痛は、原告正信につき金三〇〇〇万円、原告優子、同康寛につきそれぞれ金二〇〇〇万円の支払によって慰謝されるのが相当である。

(四) 弁護士費用

原告らは、本件訴訟の遂行を原告ら訴訟代理人らに委任し、その手数料及び成功報酬の支払を約した。原告らが約した金額は、原告正信につき金六〇〇万円、原告優子、同康寛につきそれぞれ金三〇〇万円である。

(五) したがって、原告らの被告に対する損害賠償請求権の額は、原告正信が金四九一四万四四六三円、原告優子、同康寛がそれぞれ金二九〇七万二二三二円となる。

よって、被告に対し、恭子の死亡に伴う損害金の一部として、原告正信は金四五〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和五六年一月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告優子、同康寛はそれぞれ金二七五〇万円及びこれに対する右同日から支払済みまで右同様の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の(一)ないし(九)の各事実は、いずれも認める。

3  同3の事実のうち、恭子が敗血症に罹患していた点は否認し、その余は認める。

本件において、恭子が少なくとも菌血症であったことは間違いないが、敗血症であったと断定できる資料はない。ここにいう菌血症とは、病原微生物が血液中を流れている状態で、血液培養により菌を証明すれば分かるものである。これに対して、敗血症とは、感染した病巣から病原微生物、又はその出す毒素が持続的、又は間歇的に血液中に流入し、その結果、重篤な全身症状を呈する疾患である。菌血症は、敗血症ではなく、しばしば正常な状態においても血液中に病原微生物が侵入することがあるが、身体の抵抗力さえあれば、敗血症にはならないのである。

敗血症であるか否かの診断にあたっては、臨床検査において血液培養により原因と思われる病原微生物を証明することのほか、血液検査により白血球数の増加、CRPの陽性、赤血球沈降速度(以下「血沈」という。)の亢進などが必要である。さらに、敗血症の診断にあたっては、類似疾患との鑑別診断を行なわなければならない。特に、SLEなどの膠原病は、活動性の場合、心、腎、肺、中枢神経等の重要な臓器に病変が進行し、そのため高熱を伴う。これに対し、敗血症も抵抗力の低下により細菌などの微生物が、心、腎、肺、中枢神経を侵し、化膿巣(転移巣)となって発熱が生じる。したがって、SLEの悪化に際してみられる臨床症状、臨床検査の異常値は、敗血症のそれと非常によく似ており、実際には全く区別がつかないことがある。

恭子の場合、昭和五五年一二月二七日頃から三九度の高熱、悪寒、頭痛及びCRPの陽性などの敗血症を思わせる症状がでており、しかも、昭和五六年一月九日、一一日及び一二日の三回にわたり血液培養による細菌検査の結果緑膿菌が検出されていることから、この時期に恭子が菌血症であったことは明らかである。しかし、その間、敗血症であれば、白血球数の増加、CRPの陽性、血沈の亢進があるはずであるが、恭子にはみられなかった。また、恭子の死後一五時間三〇分後に行なわれた解剖検査においても、心、腎に外見上の著変は認められず、脾臓には多数の梗塞が認められたが、細菌性の梗塞は認められず、結局、敗血症を肯定させる病巣は発見されなかった。したがって、恭子は一過性の菌血症であったにすぎず、SLE自体の悪化による症状である可能性も残されており、恭子が敗血症に罹患していたのか否かは断定できない。

4  請求原因4の(一)及び(二)の各事実は認める。

5  同4の(三)の事実は否認する。

SLEの症状は患者によって異なるばかりでなく、同程度の重症度の患者でも各人のステロイド剤の有効量は異なる。したがって、疾患の重症度とステロイド剤の有効量を見極めたうえ、治療指針に示された如き一貫した方針による計画的ステロイド投与が行なわれるべきことは当然である。ただし、あくまでも機械的盲目的にステロイド投与が行なわれるべきではなく、その間の症状の変化による量的変動、又は突発的若しくは偶発的病状の変化に対する臨機応変の処置は、臨床医師の裁量によるべきである。

大島医師は、恭子を初めて診察した時、過去の症状及び臨床病状から同人は既にSLEに罹患しているのではないかとの強い疑いも持った。そして、大島医師は、感染症などの類似疾患との鑑別のため、SLEか否かの臨床検査として重要な尿検査及び血液検査を先ず行ないつつ、恭子に対してアスピリンを投与した。昭和五五年一二月二日までに、これらの検査の結果、尿から蛋白が検出される一方、白血球数が少なく、CRPは陽性で、血沈は亢進し、補体価は低く、LE細胞及び抗核抗体が検出されるなど、SLEに罹患していることが明らかになった。そこで、大島医師は、リンパ節生検、皮膚生検及び腎生検の実施及び検査結果を待つことなく、同日夜からステロイド療法を始めたのである。

大島医師は、以上のような恭子の病状を踏まえて、ステロイド剤につき各種のものを注射してその反応性を試し、昭和五五年一二月四日からPSLを日量二〇ミリグラム投与し、同月八日からは日量三〇ミリグラムに増量した。それは、それまで日量二〇ミリグラムを投与していたところ、三九度以上あった発熱は軽快傾向にあったが、まだ三七度台、時には三八度以上の発熱を認め、白血球数減少も改善されず、紅斑、リンパ節腫脹、口内潰瘍は軽快してきたが、未だSLEの活動性が十分に抑えられていないと判断したためである。そして、同月一三日からさらに日量四〇ミリグラムに増量したのは、それまで日量三〇ミリグラムを投与してきても、未だ三七・五度前後の発熱が続いていること、血小板数が正常ならば一立方ミリメートルあたり一三万から三〇万個であり、一時は同一五万ないし二七万個に増加したのが再び同一三・四万個、一一・六万個に減少してきたこと、さらに白血球数もやや増加傾向にあったとはいえ、まだ一立方ミリメートルあたり一〇〇〇台から二〇〇〇台と正常値の半分位であることから、恭子のSLEの活動性を日量三〇ミリグラムでも抑えているとはいえないと判断したためである。一方、昭和五六年一月六日からPSLの投与量を日量四〇ミリグラムから日量三五ミリグラム、さらに同月一〇日から日量三〇ミリグラムに減量したのは、日量四〇ミリグラムに増量して白血球数がやや増加したものの、前年一二月二七日に三九度以上の発熱が認められ、それに対して感染症の可能性も否定できないところから平行して三種類の抗生物質を点滴注射により投与したところ、発熱は一時軽快したと思われたが、一月三日から再び熱が上昇し始め、同月五日に三八・八度となったため、その時点で、恭子の発熱の原因についてSLEの病態が白血球数以外は抑えられているところからSLEは考えにくく感染症を強く疑い、PSLは感染症に対して増悪因子となることから、その投与量を減量した方がよいと判断したためである。日量三〇ミリグラムは、以前の経過に基づき完全ではなくとも本例に有効であると思われた量であり、大島医師としては、むしろ感染症は直接生命に影響があるのでこれに対する配慮を加えたものであった。なお、昭和五五年一二月一九日にPSLの投与量を五〇ミリグラムとしたのは、その日に行なわれた抜歯に対する予後措置である。

以上のとおり、大島医師のPSL投与方法は、臨床医師の裁量の範囲内であって、何ら過失はない。

6  請求原因4の(四)の事実は否認する。

SLE患者に対しては、抜歯はなるべく避けるべきであるが、絶対的禁忌事項ではない。抜歯に際しては、いかに細心の注意を払っても、歯の周囲にある微生物が血液中に侵入するのを防ぐことはできない。ことに、SLE患者においては病気の性質上、抵抗力の低下があり、そのために菌血症から敗血症に進展し、重篤化する危険もある。しかし、他面、歯痛は、患者に精神的苦痛を与え、食欲を減退させ、そのために体力が低下し、SLEを悪化させる原因ともなる。したがって、抜歯は、その危険性とその有利な点を比較検討し、患者の全身及び歯の局所の状態に基づき、医師自らの知識と経験によって行なわれるべきである。

ところで、一二月一五日、河内歯科医師が、診察及びレントゲン検査を行なった結果、恭子が痛みを訴えた左上顎第二小臼歯は、既に他の医療施設において歯神経を抜いて治療を受けた歯であり、それにもかかわらず、なお歯痛を訴えたのは、歯と骨との間にある歯根膜が炎症を起こしているものと判断した。恭子に対してステロイド療法が続けられたため、口腔内の細菌の活性化をもたらし、歯痛が起きた可能性はあるが、ステロイド療法のために歯痛が起こるとの定説はない。また、仮に抜歯もせずに炎症が拡大・継続すれば、全身に細菌が流れていき、死に直結する危険すらある。しかも、恭子は、強く抜歯を希望した。一方、恭子の全身症状は、未だ三七度台の発熱が続くものの、減少した白血球数は増加傾向にあり、顔面紅斑及び頸部リンパ節腫脹は軽快し、口腔内潰瘍も消失した。大島医師は、これらの状況を総合して、河内歯科医師と協議のうえ、抜歯させたものであり、この点に過失は存在しない。

また、大島医師は、抜歯後、直ちに抗生物質ケフレックスを一二月二六日まで投与し、同月二七日からそれに代えてメトシリンS及びリンコマイシン、さらに同月二九日からゲンタマイシンを加え、昭和五六年一月五日まで以上三種の抗生物質を投与した。右抗生物質は、緑膿菌、ぶどう球菌等に特効のある薬品であり、右期間中は緑膿菌等の病巣は全く発見されていない。そして、一月五日には抜歯創に既に肉芽形成ができており、緑膿菌が初めて検出されたのが抜歯後二一日目の同月九日のことであって、右抜歯創から緑膿菌が血液中に侵入した形跡はない。しかるに、一月三日頃から発熱は上昇し始め、同月五日には三九度になった。これは、前記三種の抗生物質の投与によって、緑膿菌が仮に恭子の体内に存在していたとしても死滅するが、それと同時に他の細菌まで死滅してしまうため、これらの三種の抗生物質によっては影響を受けない別の細菌が活性化した結果ではないかとの疑いも出てきた。そのため、大島医師は、その原因を詳しく検査するため、一月六日から抗生物質の投与を中止するとともに、PSLの投与量も前述のとおり減量したのである。以上の次第であるから、大島医師には、抜歯後の予後の措置について過失は全くない。さらに、恭子が仮に敗血症に罹患していたとしても、河内歯科医師による抜歯から一月五日に抜歯創に肉芽が形成されるまでの間、感染症による悪化は認められなかったのであるから、抜歯と敗血症との間に因果関係を認めることもできない。

7  請求原因4の(五)は争う。

8  同5の(一)ないし(五)の各事実は否認する。

三  抗弁

(過失相殺)

1 恭子は、昭和五三年の長男出産後に発熱、関節痛及び頭部発疹の症状を、昭和五五年八月には顔面紅斑を示し、市民病院に来院する以前に既にSLEに罹患しており、同病院入院時には、SLEが活発化して急性かつ重度の症状になっていた。それにもかかわらず、原告らは、その間に恭子に適切な治療を受けさせず、これを放置していた。

2 しかも、原告らは、大島医師が恭子に対して慎重かつ妥当な治療を続けていたにもかかわらず、突如として同医師の制止も聞き入れず、昭和五六年一月一四日に恭子を市民病院から退院させ、新たな市大病院に入院させて、恭子に対する治療行為に空白期間を作ってしまった。

3 したがって、恭子の死亡については、原告らにも過失が認められるから、恭子の死亡に伴う原告らの損害賠償額を算出するに際し、過失相殺が加えられるべきである。

四  抗弁に対する認否

恭子が昭和五六年一月一四日に市民病院から退院し、新たな市大病院に入院した事実は認めるが、その余の事実は全部否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1(当事者)及び同2(市民病院における診療経過)の(一)ないし(九)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  恭子の死因について

1  請求原因3のうち、恭子の直接の死因が肺うっ血水腫であること及びそれに至った原因の一つがSLEの悪化であることは、当事者間に争いがない。また、請求原因4の(一)(SLE疾患の特徴)の事実も当事者間に争いがない。

2  そこで、恭子が敗血症に罹患していたか否かについて判断する。

〈証拠〉によれば、敗血症とは、感染した病巣から病原微生物又はその出す毒素が持続的又は間歇的に血液中に流入し、その結果、重篤な全身症状を呈する疾患であること、敗血症であるか否かの診断にあたっては、血液培養により病原微生物が検出されることのほか、血液検査においてCRPの陽性、白血球数の増加が認められ、内部臓器の病変による高熱を発することがその指標となるところ、恭子が市民病院に入院加療中の昭和五六年一月九日、一一日及び一二日の各血液培養による細菌検査において緑膿菌が検出されたこと(当事者間に争いがない。)、CRPの数値は、SLEのみに罹患している場合はそれが活動性のものであってもプラス三を上限とするのが通常であるのに、恭子の場合、同年一月一二日及び一三日の各血液検査ではいずれも強陽性(プラス六)になり(恭子のCRPの数値は当事者間に争いがない。)、市大病院に入院後の同月一四日の血液検査でも強陽性(プラス五)であったこと、白血球数は、正常値が一立方ミリメートルあたり五〇〇〇から八五〇〇個であり、SLE患者においては、これが同二〇〇〇ないし四〇〇〇個にまで減少するのが特徴であるのに、恭子の場合、同年一月一二日に同四四〇〇個、同月一三日に同五六〇〇個、市大病院入院後の同月一四日に同五三〇〇個、同月一五日に同五四〇〇個、同月一七日に同六〇〇〇個と高い値であったこと、また、発熱も昭和五五年一二月二七日に三八・九度に達し、同月三一日以降一時三五度台に下がったが、翌昭和五六年一月三日以降、再び上昇し始め、三九度台の高熱を発するようになり、同月一二日以降にPSLを一〇〇ミリグラム以上多量に投与したにもかかわらず三七度台の微熱が続いたこと、昭和五五年一二月二七日以降、恭子が頭痛及び悪寒を訴えたこと、昭和五六年一月一二日夜に顔面及び上肢に痙攣を起こし、翌一三日未明にも痙攣を起こし、発作による意識消失はあったが、SLEの悪化であれば中枢神経の障害のため記憶を失うことがあるのに、恭子の場合、記憶がいずれのときも明瞭であったこと、市大病院において恭子の治療にあたった医師谷賢治及び同坂本洋の臨床診断名は敗血症であったことが認められる。

しかし、〈証拠〉によれば、菌血症は、病原微生物が血液中を流れている状態を意味し、血液培養により菌の存在が証明されれば足り、敗血症と区別されること、恭子の遺体について、昭和五六年一月二〇日、死亡後一五時間三〇分経過した時点で病理解剖に付された結果、臓器については、腎臓に白金耳状病変が認められ、心臓の僧帽弁に表面不整の疣贅形成が認められたが、いずれの箇所からも細菌は検出されず、脾臓の外表面には多発性の梗塞巣が認められて脾粥ではなく、結局、敗血症の場合に通常認められるべき細胞の原病巣は発見されなかったこと、昭和五五年一一月二六日から昭和五六年一月八日まで二三回にわたる血液培養による細菌検査においても細菌は検出されず、また一月一〇日及び一三日の検査でも細菌は検出されず、さらに同月一四日以降市大病院における同様の検査でも緑膿菌その他の細菌は検出されなかったこと、CRPの数値も、昭和五五年一二月二二日の血液検査で陰性、同月二五日の検査でプラス二と陽性になったものの、昭和五六年一月五日及び八日の検査では疑陽性にとどまり(当事者間に争いがない。)、同月一二日から一四日までプラス五以上の強陽性だったが同月一六日にプラス四、同月一九日にはプラス二に減少していること、白血球数も、昭和五五年一二月二〇日から昭和五六年一月一〇日までの九回にわたる血液検査では、最高値が一立方ミリメートルあたり三五〇〇個、最低値が同一五〇〇個であり、一月一六日には同三一〇〇個に下がったこともあり、また、恭子には昭和五五年一二月二日以降ステロイド剤が投与され(この点につき当事者間に争いがない。)、特に一月一三日からはパルス療法としてPSLが日量一〇〇ミリグラム以上投与されているのであって、その効果として白血球数が増加した余地もあること、血沈は、女性の場合正常であれば一時間あたり二〇ミリメートル以下であり、同五〇ないし一〇〇ミリメートルの高値をもって亢進と評価すべきところ、恭子の場合、一月五日に同三四ミリメートル、同月一二日に同二三ミリメートル、同月一三日に同一二ミリメートルであって血沈につき亢進が認められなかったこと、一月一七日には、子供ぽく話すなど恭子に精神症状が現われたことが認められ、しかも、恭子はSLEに罹患し、一月一二日、一三日には重症に陥っていたことは、当事者間に争いがなく、SLEの場合も心、腎、肺、中枢神経等の重要な臓器の病変のため、頭痛、悪寒、高熱を伴い、敗血症との鑑別がつかないことがありうると認められる。

以上の諸事実を総合勘案すると、恭子の症状には敗血症の症状に符合する点も認められるが、他方、未だ一時的な菌血症にとどまり、SLE自体の悪化による症状であるとの疑いを払拭することができず、結局、恭子が死亡当時に敗血症に罹患していたと断定するには躊躇を感ぜざるをえない。

3  恭子が死亡当時に敗血症に罹患していたと断定し難いことは、前述のとおりであるが、仮に敗血症に罹患していたとして、抜歯との間に因果関係が認められるか否かについて判断する。

昭和五六年一月九日、一一日及び一二日に実施された血液培養による細菌検査の結果、緑膿菌が検出されたこと、しかし、抜歯後一月八日までの右同様の細菌検査では細菌が検出されず、右緑膿菌が初めて検出されたのは抜歯後二一日目であったことは、前記認定のとおりであり、また、大島医師は、一月五日に抗生物質を中止したが、抜歯後、それまでの一八日間にわたって各種抗生物質を恭子に対して投与し、それらは、グラム陽性球菌、グラム陰性桿菌及び嫌気性細菌に特に効果のある薬剤であったこと、また、一月五日には抜歯創に肉芽組織が形成されたことは、後記認定のとおりである。しかも、緑膿菌その他の細菌の感染経路は口腔内のみに限定されるものではないから、抜歯と敗血症罹患との間に因果関係を肯定するためには、専ら抜歯創に口腔内の細菌が流入し、その他の部位からは敗血症の原因となる細菌が流入していないことが証明されなければならないところ、これを認めるに足りる証拠はない。したがって、仮に、恭子が死亡当時に敗血症に罹患していたとしても、抜歯との間に因果関係を認めることはできない。

三  請求原因の(二)(SLEの治療方法)の事実は、当事者間に争いがない。

四  請求原因4の(三)(大島医師のステロイド療法)について

1  〈証拠〉によれば、市民病院に入院する以前においては、昭和五三年一〇月の長男康寛出産後から、恭子には、時々三八度台の発熱や一週間位続く関節痛の症状があったほか、頭部に発疹も認められたこと、また、昭和五五年八月末頃には顔面紅斑が認められ(当事者間に争いがない)、一〇月上旬には左第一趾先に疼痛を伴う紅斑が現われ、歩行困難となったこともあり、同じ頃から手指にも紅斑が現われるようになったこと、さらに数日経過後、全身に倦怠感を覚え、肩、肘両側に関節痛が生じ、悪寒がして一一月二〇日頃からは三八度ないし三九度の高熱を発し、咽頭部に腫が認められ、同月二五日には、左腋窩に腫瘤が認められたこと、そして、同月二六日に大島医師が初めて恭子を診察したところ、顔面に蝶形紅斑、左右の手指及び左第一趾先にも紅斑、口腔内潰瘍、関節痛、頸部及び左腋窩のリンパ節の腫脹並びに三八・五度の発熱が認められたこと、大島医師は、恭子の過去の症状及び診察から恭子がSLEに罹患しているのではないかを疑いつつ、その一方で感染症に罹患している可能性を考慮し、恭子を市民病院へ入院させた後も、感染症との鑑別をするため、痰、咽頭、尿、血液、髄液及び膿を対象として培養する細菌検査を実施するとともに、各種の血液検査を実施したこと、大島医師は、恭子の入院当初の治療計画として、ステロイド剤の投与まで、下熱及び鎮痛効果のある非ステロイド性抗炎症剤であるアスピリンを投与し、その間、前記細菌検査、血液検査などの諸検査を実施して経過を観察し、リンパ節生検後PSLを二〇ないし三〇ミリグラム投与して発熱が落ち着いた段階で腎生検を実施することと判断したこと、恭子について、一二月二日にリンパ節生検と皮膚生検を実施し、同月九日に腎生検を実施したところ、同月五日に採取されたリンパ節の病理組織学的検査報告がなされ、同月一六日に採取された皮膚の病理組織学的検査報告がなされ、いずれもSLEの診断と矛盾しない検査結果であり、さらに同月一九日及び二五日に腎生検の結果が報告され、ごく軽い瀰漫性増殖性糸球体腎炎が判明したこと、大島医師は一一月二八日から一二月一日まで恭子に対してアスピリンを投与したが、三八度から三九度の高熱を発して下熱せず、紅斑も軽快せず、その効果が出ない一方、臨床検査の結果、白血球数は、一一月二六日が一立方ミリメートルあたり二二〇〇個、二八日が同二一〇〇個、一二月一日が同一六〇〇個と正常値の半分以下で、かつ減少しており、血沈は、一一月二六日が一時間あたり五五ミリメートル、二八日が同七三ミリメートルと亢進しており、一一月二六日に採取された血液からLE細胞が検出され、また、同日に採取された血清の補体価は正常値よりもはるかに低く、抗核抗体は一〇倍以下が正常値であるところ、八〇倍であり、抗DNA抗体は八〇倍以下が正常値であるところ、一二八〇倍であってSLEの免疫学的反応も顕著であり、さらに、尿からは蛋白が検出されたことが明らかになったこと、ところで、アメリカリウマチ協会が提唱し、日本においても評価され、SLEの診断において良く用いられているSLE分類予備基準は、SLEと他のリウマチ症との識別を中心にコンピューター分析により、SLEの代表的な特徴を一四項目掲げ、観察の間隔を問わず、その間に連続して又は同時に四項目以上に該当すればSLEとしてよいとするものであるところ、恭子の前記症状は、そのうち顔面紅斑、口腔内潰瘍、関節痛、LE細胞出現及び白血球減少の五項目を同時に充たしており、その一方で、感染症であれば白血球数が増加するはずであるのに、前記のとおり減少しており、また、一一月二九日に実施された髄液培養による細菌検査では、細菌が検出されなかったことから、大島医師は、恭子の症状を総合して感染症は考えにくいと判断して、一二月二日から恭子に対してSLEの治療方法として有効であるステロイド療法を行なうことにし、一二月二日夜にリンデロン二ミリグラムを投与し、翌三日朝にはデキサメサゾン一・五ミリグラムを投与し、同日夕方にはPSL一〇ミリグラムを投与し(以上、ステロイド剤の投与日時、投与量につき当事者間に争いがない。)、各種ステロイド剤の適合性を試したうえ、恭子の症状を総合的に考慮して同月四日からPSLを日量二〇ミリグラムと定めて投与し始めたこと、一二月七日までの間、恭子の症状は、頸部リンパ節腫脹及び口腔内潰瘍は軽快傾向にあるが、紅斑は改善されず、発熱は一旦は三六度台に下がったものの、三七度台、時には三八度台に上昇し、白血球数も減少傾向を改善することができず、同月八日にPSLを日量三〇ミリグラムに増量したこと、その後、同月一二日までの間、恭子の症状は、顔面及び手指の紅斑は軽快し、同人の自覚症状として体調も良くなってきているが、依然として三七度台の微熱が続き、白血球数は増加傾向にあるものの一立方ミリメートルあたり一〇〇〇台から二〇〇〇台と正常値の半分にすぎず、さらに血小板数が入院時一立方ミリメートルあたり一五・一万個であったのが同二七・三万個にまで増加したのに、同月一一日に同一三・四万個、一二日に同一一・六万個と減少傾向にあることから、同月一三日にPSLを日量四〇ミリグラムに増量したこと、同月一九日には、恭子の左上顎第二小臼歯を抜歯し(当事者間に争いがない。)、その侵襲によってSLEを悪化させないようにするため、一時的にPSLを五〇ミリグラムに増量したが、翌二〇日から再び日量四〇ミリグラムを投与したこと、しかし、一二月一三日から翌年一月五日までの間、発熱は三六度台に完全に下がらず、時には三八度ないし三九度台に上昇しており、しかも抜歯後感染予防のための抗生物質を投与してきたのに下熱効果が見られず、また、一二月二五日実施のCRP検査の数値がステロイド剤投与後初めて陽性(プラス二)になり、感染症に罹患した可能性が考えられる一方、SLEの活動性については、白血球数において一二月一五日に一立方ミリメートルあたり四〇〇〇個に改善されたが、その後一〇〇〇台から二〇〇〇台であり、血液培養による細菌検査では細菌が検出されず、発熱の原因がSLE自体によることも否定できず、結局、大島医師は、発熱の原因が感染症であるか否かを確かめるために、一月五日、抗生物質は各種の培養検査を行なう必要からその投与を中止するとともに、PSLはその副作用として感染に対する抵抗力を弱めることからその投与量を減量することとし、一月六日からPSLを日量三五ミリグラムに、同月一〇日から日量三〇ミリグラムにそれぞれ減量したことが認められる。

2  SLEの治療においては、既に確定したとおり、ステロイド療法が最も有効な治療方法であるが、ステロイド剤には副作用があり、そのためステロイド剤の使用は必要最小限度に留めなければならない。しかし、〈証拠略〉を斟酌して検討すれば、SLE患者においては、個々にその具体的な症状は異なり、また、ステロイド剤の効果も異なることから、ステロイド剤の使用にあたり、予め画一的に必要最小限の適正な量を決定することはできず、当該患者ごとに適正な量を決定すべきところ、その決定にあたり、少な目の量から始めて順次増量するか、比較的大量から始めて順次減量するかは、担当医師の裁量の範囲内であるというべきである。本件において、大島医師が恭子に対して行なったステロイド療法は、その開始前に、同医師が恭子の過去の症状、臨床症状並びに臨床的及び理学的検査の結果を検討して、SLEに罹患していると判断して開始されており、その判断及びステロイド療法の開始時期が不当であったとは認められない。なお、原告は、皮膚、リンパ節及び腎の各生検の結果が判明する前に、大島医師がステロイド療法を開始したことを批難するが、これら生検の実施は、それ自体、担当医師の裁量の範囲であるうえ、前記認定事実に照らして、原告の右批難は失当である。また、ステロイド剤の投与量の変更についても、前記認定のとおり、恭子の容体の変化からして、当時としてはかような変更も考えうる措置の一つであって、適正でなかったとは認められず、医師の裁量の範囲を逸脱したものとはいえない。

五  請求原因4の(四)(抜歯処置)について、

1  〈証拠〉によれば、恭子は、昭和五五年一一月二五日に歯痛があり、市民病院に入院後の同年一二月一二日から再び歯痛があり、その後歯痛は継続し、同月一七日から一八日未明にかけて夜も寝れない程の激痛となり、鎮痛剤の効果もなかったこと、その間、大島医師は、同月一五日、一六日及び一八日に、同じ市民病院の河内歯科医師に歯科的診療を依頼したこと、河内歯科医師が診察したところ、歯痛は左上顎第二小臼歯から発生しており、同歯部分をレントゲン撮影した結果、同歯は既に他の医療施設において神経を抜き、根管充填をして金冠をかぶせているが、歯根膜の部分に炎症があることが認められ、また、口腔内全体にカンジタという真菌(カビ)が認められたので、一六日に同歯の金冠をはずし根充剤を除去して根管内を洗滌するとともに、マーゾニン溶液によって口腔内を含嗽させ、一八日にも歯根管内を洗滌したこと、しかし、河内歯科医師による保存的治療にもかかわらず、恭子の歯痛は治らず、同人から再三にわたって抜歯の希望があったこと、その間、恭子のSLEの状態は、顔面及び手指の紅斑並びにリンパ節腫脹は軽快し、発熱がほとんど三六度台から三七度台の微熱であり、白血球数も一立方ミリメートルあたり三〇〇〇台から一五日には四〇〇〇台と増加傾向にあり、血小板数は一立方ミリメートルあたり一一万台から一二万台にあって、それ以下には下がらず、CRP検査も陰性であったことから、大島医師は、SLEの活動性がかなり抑えられた状態にあると判断したこと、そこで、河内歯科医師は、大島医師と協議のうえ、同月一九日、恭子の左上顎第二小臼歯を抜歯したこと(当事者間に争いがない。)、大島医師は、抜歯によるSLEの悪化を防止するために抜歯当日にPSLを五〇ミリグラム投与するとともに、抜歯による感染症を予防するために恭子に対して抗生物質を投与することとし、同月一九日から二六日までケフレックスを投与し、同月二七日からは、ケフレックスに代えてメトシリンS及びリンコマイシンを投与し、同月二九日には、それらに加えてゲンタマイシンを投与し、抗生物質の投与を昭和五六年一月五日まで続けたこと(抗生物質の種類及び投与日時につき当事者間に争いがない。)、以上四種の抗生物質のうち、ケフレックス及びゲンタマイシンは、グラム陽性球菌及びグラム陰性桿菌に特に効果のある薬剤であり、メトシリンS及びリンコマイシンは、それに加えて嫌気性細菌に特に効果のある薬剤であること、他方、河内歯科医師も、抜歯創の洗滌を行ない、該部分のレントゲン撮影をするとともに、カンジタ症に対する治療を行なって、予後を観察したこと、抜歯後も抜歯創からの痛みは続いたが、昭和五六年一月五日には、抜歯創に肉芽組織が形成され、痛みも治まり、口腔内のカンジダ菌も消失したことが認められる。

2  SLE患者においては、既に確定したとおり、ステロイド療法が行なわれる結果、感染に対する抵抗力が弱まり、そのために菌血症から敗血症に進展し、重篤化する危険がある。特に、口腔内には種々の細菌が間断なく存在するため、抜歯はなるべく避けるべきである。しかし、〈証拠〉を斟酌して検討すれば、その反面、歯痛はSLE患者に精神的苦痛を与え、食欲を減退させ、そのために体力が低下し、かえってSLEを悪化させる原因ともなる。したがって、抜歯をするか否かは、担当医師が抜歯の危険性と抜歯による有利な点とを比較検討し、患者の全身及び歯の局所の状態に基づき決定されるべきである。本件において、大島医師は、さきに認定したとおり、歯痛の原因が歯根膜炎であって、口腔内にカンジダ菌が認められ、さらに炎症が悪化する虞れがあったこと、恭子の抜歯前のSLEの状態は安定していたこと、恭子が強く抜歯を希望したことから、河内歯科医師と協議のうえ抜歯を行なったのであって、その判断が適正でなかったとは認められない。

また、抜歯後の措置についても、事前に感染の原因となるべき細菌を特定することは困難であって、事前に抗生物質を投与しなければならないとする医学上の定説はなく、本件において、大島医師は、さきに認定したとおり、事後に抗生物質を投与し、河内歯科医師とともに経過を観察しているのであって、大島医師の採った予後措置が適正でなかったとは認められない。

六  以上の次第であるから、原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐久間重吉 裁判官 榮 春彦 裁判官 片山隆夫)

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